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永久の別れ
本日を持ちまして、この「我が家の愛兎」の項目は最後の更新となります。
私の大切な家族の一員だった兎は、私の手の届かないところへ旅立ってしまいました。

我が家に来てから7年だったと思います。
なんとなく予感はしていました。
最近は昔のように元気に走り回ることもかなり少なくなっていました。
ごはんを食べる量も確実に減っていた。
行ってしまう2日ほど前、なんだかお腹の膨れと座り方に違和感を持ちました。
排泄物もなんだかいつもと違うような。
今さらなのですが、病気にかかっていたのかなと。
お腹にガスの溜まる病気にかかっていたのかもしれません。
病院につれていけばまだまだ生き永らえたのかもしれません。
でも寿命であったならいいなと思っています。

あいつは我が家で飼われていて本当に幸せだったのだろうか?
兎としての生は全う出来たのか?
檻に閉じ込められた不自由な生活。
なので旅立ったことによって、実は解放されたのではないかとも考えてしまう私もいる。
ああ、でもよく考えれば一番幸せだったのはパンを食べている時だったのかもしれない。
あれだけ興奮していたのだから間違いないかな(笑

私は幸せ者かもしれない。
その日は飲み会で、夕方一度家に帰ってきていました。
何を着ていくか考えていると、珍しくパンをねだるわけでもなく寄ってきたんです。
柵の隙間から頭と鼻先をぐりぐり。
それが最後のスキンシップとなりました。
2次会でカラオケに行っている時に弟から電話がかかってきて、最期を知りました。
ほんの数時間の間の出来事だったわけです。
祖母の時は枕元で触れながらの別れだった。
拾ってきた鳥の時は私の手の中で覚めない眠りについた。
死に目には立ち会えなかったが、最期の最期に触れることが出来ている私は、やはり幸せ者なのかもしれない。

そういえば今さらだけど、うちの兎の名前は「まぐろ」って言うんですよ。
我が家に来た時、猫の餌のマグロ缶の箱に入ってきたから「まぐろ」。
なんというネーミングセンス(笑
なんだか恥ずかしかったのと、家族にブログを見つけ出されると嫌だったので伏せておいたのです。
もうこの際だし、名前を出しちゃってもいいかななんて。

私はあいつを飼っていたことを後悔はしない。
たとえ不自由な生活を強いていたかもしれなくても、だ。
だって共に過ごした時間はとてもかけがえの無いものとなったのだから。
これまでの時間を後悔してしまったら、もう帰ってはこないあいつへの冒涜となる気がする。
あいつのことを忘れない事が私に出来る精一杯の感謝。
まぐの存在は私という存在を作り上げてくれたひとつであることには変わりないのだから。
私の大切な家族の一員だった兎は、私の手の届かないところへ旅立ってしまいました。

我が家に来てから7年だったと思います。
なんとなく予感はしていました。
最近は昔のように元気に走り回ることもかなり少なくなっていました。
ごはんを食べる量も確実に減っていた。
行ってしまう2日ほど前、なんだかお腹の膨れと座り方に違和感を持ちました。
排泄物もなんだかいつもと違うような。
今さらなのですが、病気にかかっていたのかなと。
お腹にガスの溜まる病気にかかっていたのかもしれません。
病院につれていけばまだまだ生き永らえたのかもしれません。
でも寿命であったならいいなと思っています。

あいつは我が家で飼われていて本当に幸せだったのだろうか?
兎としての生は全う出来たのか?
檻に閉じ込められた不自由な生活。
なので旅立ったことによって、実は解放されたのではないかとも考えてしまう私もいる。
ああ、でもよく考えれば一番幸せだったのはパンを食べている時だったのかもしれない。
あれだけ興奮していたのだから間違いないかな(笑

私は幸せ者かもしれない。
その日は飲み会で、夕方一度家に帰ってきていました。
何を着ていくか考えていると、珍しくパンをねだるわけでもなく寄ってきたんです。
柵の隙間から頭と鼻先をぐりぐり。
それが最後のスキンシップとなりました。
2次会でカラオケに行っている時に弟から電話がかかってきて、最期を知りました。
ほんの数時間の間の出来事だったわけです。
祖母の時は枕元で触れながらの別れだった。
拾ってきた鳥の時は私の手の中で覚めない眠りについた。
死に目には立ち会えなかったが、最期の最期に触れることが出来ている私は、やはり幸せ者なのかもしれない。

そういえば今さらだけど、うちの兎の名前は「まぐろ」って言うんですよ。
我が家に来た時、猫の餌のマグロ缶の箱に入ってきたから「まぐろ」。
なんというネーミングセンス(笑
なんだか恥ずかしかったのと、家族にブログを見つけ出されると嫌だったので伏せておいたのです。
もうこの際だし、名前を出しちゃってもいいかななんて。

私はあいつを飼っていたことを後悔はしない。
たとえ不自由な生活を強いていたかもしれなくても、だ。
だって共に過ごした時間はとてもかけがえの無いものとなったのだから。
これまでの時間を後悔してしまったら、もう帰ってはこないあいつへの冒涜となる気がする。
あいつのことを忘れない事が私に出来る精一杯の感謝。
まぐの存在は私という存在を作り上げてくれたひとつであることには変わりないのだから。
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